Japanese Academy of Sensory Integration

    ごあいさつ
      
日本感覚統合学会 会長 土田玲子


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 土田玲子会長

年頭の挨拶
             2006年元旦


 あけましておめでとうございます。昨年に引き続き、今年も日本の個性的な子どもたちの支援にさらなる大きな展開が見られることが予想されます。文部科学省は、特別支援教育の整備を急ピッチで進めており、平成19年度までに日本全土にわたって幼稚園から高校までこの制度が動き始めるよう指針を出しています。このような時代にあって、SI理論を学ぶということは、即、それがどのように子どもたちに対する適切な支援に結びつくかが問われるように思います。子どもたちの、言葉にならない内面世界の代弁者として、会員の皆様がこのような活動に大いに貢献されることを願っております。
 さて、今年は戌年ですが、個人的には昨年は馬にまつわる学びが多くありました。11月に長崎にてロイス・ヒックマン先生を迎えての「SIと乗馬療法」のワークショップ、および講演会が行われ、続けて埼玉のSI大会分科会では、馬との出会いで大きく成長している、あるアスペルガーの青年の育ちの物語を報告させていただきました。
 馬は武器を持たず、よって戦わず、逃げて逃げて逃げまくることで生き延びてきた動物です。そのために鋭敏な神経システムを進化させ、人と深いつながりを持って生きてきました。このような馬の性質を学ぶにつれ、様々なことを考えさせられました。

 例えば、ガンジーのような無抵抗主義で世界を変えようとした人と、人やものを破壊することで武器を作り続け、売り続けなければ生き延びていけなくなった巨大産業のこと。私たちは何のために自衛隊を遥か遠くの国にまで送り出し、何のために多くの罪のない人々が殺されたのでしょうか?
 例えば、感覚調整障害を持つ人々と「馬」的な存在との共感、共有しあえる世界のこと。馬は癒されるべき人を見分けることができるとも言われます。わずかなサインに反応し、また馬にサインを送りかえす関わりは、確実に人とのやりとり技能の基礎を形成することに貢献しています。
 例えば、「馬を殺さない」というだけの非常にシンプルなミッションだけで牧場生活をする人のこと。牧場の生活には、夜明けとともに始まる規則正しく行われる活動、すなわち馬の食事や手入れの仕事、馬の運動など、多くの体を使った活動が含まれており、このような生活には豊かな感覚運動体験が含まれています。そして戦わず、競争せず、「やさしさ」や「世話」をする対象があることを喜びとし、皆と寄り添って生きる生活があります。

 人も地球上の数多くの生物群の1つとして、現代の生活が彷徨いこんでしまった迷路の出口をこのような馬との生活、馬の生き方からたどることもできるような気がしています。
 
ちなみに馬にとって、犬はとても大切な生活のパートナーなのだそうです。犬がいることで馬の情緒が安定するのだそうな・・・
 戌年の年頭の挨拶を馬の話で始める無粋をこの落ちで許していただき、本年も多くの学びと子どもたちの笑顔を、会員の皆様と共有していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。



年頭の挨拶 「伝える言葉」から
                     2005年元旦


 元旦の朝、私が出会った様々な子ども達の動向を伝える年賀状を読みながら、「せめて子どもを・・・」という昨年9月に朝日新聞に載った大江健三郎氏の「伝える言葉」の論説中の引用を思い出しました。この言葉は、もともと魯迅の最初に書いた短編の最後の一行に出てくるものなのだそうですが、浅学の私は原文にあたることもなく、大江氏の文章から強烈なメッセージを受け取った次第です。「語り手は、人間がみな人間を食わされていると考え、救いたいと叫びます。 せめて子どもを・・・」とあります。このごく短い文章から伝わってくる、おどろおどろしい強烈な恐ろしさと、これを引用した大江氏の子どもに対する深い「想い」が一挙に私の胸をかき回しました。昨年は自然災害が例年以上に多かった年でしたが、それ以上に「私たち」は意図的に多くの子どもや若い命を奪いました。戦地で人質になって殺された青年などは、もはや誰の口にものぼりません。大江氏はさらにドストエフスキーの「悪霊」も若い人たちに薦めています。これは「社会と人間を包む暗黒を描きながら、それと関わって苦しむ若者たちが、その人間観の根本に子ども救うことを置き、そのために努力する」ことが書かれているそうです。この論説をお読みになった学会員の方たちも少なからずいらっしゃるかとは思いますが、彼は続けて東京都知事の教育施策や人間観について「子どもたちを、将来の大人たちを管理する社会用に、あらかじめ作りなおしておこうとする、教育についての権力を持つ大人たちの企て」と評しています。この大江氏の言葉に比べるべくもありませんが、私はよく講演や講義で、子ども達の支援について一番簡単で最初にしなければならないことが「子どもの環境を変えること」であると話しています。子ども達の行動の意味を理解することや子ども達の健やかな育ちを支える社会システムを作ることは、私たちが「意識」と「努力」さえすればできることなのです。いや、正確に言うならば、この「意識」と「努力」の対象が子どもの方だと却って危険だとも思うのです。子どもを私たちの思うように変えようなどと下手に思う事自体が、それこそ「子どもについて権力を持つ大人たちのあやしい企て」になる可能性があるのですから。子どもたちに向かって私たちができることは「共に有ること」そしてせいぜい「理解しようとすること」またはせめて「支えようとすること」くらいなのかもしれません。これについては前回養老孟司氏の「手入れ」の考えをご紹介しましたので、これ以上ここでは触れることはしません。私たちが「意識」と「努力」の対象とするのは、あくまでも私たちが「意識」的に作ってきた社会システムと大人の「意識」だと思うのです。昨年は「発達障害児・者支援法」が遅まきながらようやく国会を通りました。しかし今年も、私たちが努力しなければならないものは明白です。「せめて子どもを・・・」のメッセージをもう一度学会員の皆様と噛み締めたいと思います。本年もよろしくお願いいたします。

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